ヨーロッパで初めての個展を開いたジュデイオング女史。約1週間ハンブルクに滞在、7日間ハンブルクッ子としてこのシリーズに登場してもらいました。

ジュデイオング木版画展

歌手、女優、司会、プロデユーサー等など多彩な活躍をしているジュデイオング女史がヨーロッパで初のそれもハンブルクのGalerie Roseで木版画展を開くと聞いてさっそく取材に行った。15日のオープニングパーテイには若林総領事を始め各界の重鎮が参加、ジュデイオング女史の流暢な英語とカタコトではあるがドイツ語も披露ハンブルクッ子達に好感を与えたスピーチであった。

大小合わせて約30の木版画が展示されていた、彼女が木版画で日展に入賞したという事は知っていたが実際に本物を見るのは今回が始めてだった。正直言ってビックリした。凄い迫力と安堵感が同時に伝わって来るのである、緻密に計算されたレイアウト、色彩配置、妥協を許さない繊細かつ大胆な線の強さ。これはもう本物を見ない事にはその迫力は伝わって来ない。

大きな木版画を仕上げるのに約4ヶ月かかるという、彫刻刀に手袋をはめて制作が行われる。版画家で手袋をはめて彫刻刀を握る人は少ないだろうが手は彼女にとって商売道具の一部であるから怪我は許されない、真のプロフェッシヨナルだ。その手袋も今では身体の一部となり手袋無しでは制作できないという。

彼女の小さな手と身体(失礼!)から繰出されるあの迫力と安堵感のある木版画のルーツとは一体何なのか尋ねてみた。

もとから絵画は好きで、油絵や水彩画などを描いていたが、今から約20数年前に棟方志功の門下生であった井上勝江の個展で白黒の世界に出会い強い衝撃を受けたそうだ。

墨が醸し出す多色感、また切り刃が打ち出す線の強さ!これだと思いさっそく入門を申し出たがあっさり一蹴されてしまった。負けず嫌いの彼女はその日のうちに家にあったベニア板に絵を描き、中学の時に使った彫刻刀で彫り付け、バレンの代わりにスリッパを使って彫った処女作を作成、一週間後に再び門を叩いた。彼女と版木を見た井上勝江は吹き出しながら言ったそうだ「あなた頑固そうね。これなら大丈夫かも。」なぜそう言われたのかは後でわかる、版木は板目に沿って彫るとスムーズにいくのであるが彼女は無我夢中なので、絵を中心に放射線状にガリガリ彫っていたのだった。

これを皮切りに木版画家としての悪戦苦闘が始まる、83年「冬の陽」というタイトルでジュデイオングと知られないように本名(旧)翁玉恵を使い日展に応募。初入選の知らせに思わず万歳をしたそうだ。

多忙な仕事の合間に木版画を制作するエネルギッシュなジュデイオング女史。これからの益々の活躍を期待したい。

ジュデイオング版画プロフィール

25歳の頃、棟方志功氏門下生、井上勝江に学び版画を始める。日本にしかない民家をテーマにした作品を数多く手掛けている。1983年から日展3年連続入選など、作品は高く評価されている。1993年、中国の蘇州版画院の依頼で版画親善大使となる。現在白日会正会員。

 

今度ハンブルクで個展を開く時にはコンサートも一緒にやりたいと語ってくれた。是非実現して欲しいものだ。

ハンブルクッ子達に大好評のジュデイオング女史
揚屋(85年日展入選作品)
たったひとつのTonight(95年白日展入選作品)
椿(76年処女作)
若林総領事と上智の先輩金子女史
大好評のオープニング。