「鉄砲玉デザイナーのドイツ体験記」その1   
日刊デジタルクリエーター掲載

19XX年2月1日アエロフロート航空のモスクワ経由でドイツのデユッセルドルフ空港に到着。ボクは23歳の誕生日をシベリアの上空で迎えた。初めての異国の地である。

デユッセルドルフ人口約70万人。その当時のデユッセルドルフにはすでに日本の銀行、メーカー、商社など約170社、2500人以上の日本人が住んでいました。

飛行場に迎えに来てくれたのは当時の博報堂デユッセルドルフ支社長の田岡さん(山口組とは関係ありません。)白のベンツのトランクに荷物を入れるとさっそくボクの住むアパートに案内されてひととうり部屋の説明をしてもらって鍵をもらいました。とても変わった部屋でドアを開けるといきなり階段で登りつめるとフロア兼キッチン、左が寝室、右がバスルームで窓はななめ俗にいう屋根裏部屋です。マリエンシュトラーセの37番。ここがボクの初めての海外生活のスタートでした。

翌日、田岡支社長がボクをピックアップいよいよ初出勤です。デユッセルドルフの街を離れ白いベンツで走ること約40分住宅街の一戸建ての前で車が止まりました。アレーと思っていると「松永君こっちだよ。」と玄関に案内されました。なかに入ると田岡夫人がお茶を用意されてひととうり挨拶。ところで仕事場は?と聞くとなんと案内されたのは地下室。そこにはデスクが一つ、コピー機、テレックス(テープにブツブツの穴が開いているヤツ!)応接セットが一つ............。博報堂デユッセルドルフ支社はなんと一戸建ての地下室にあったのです。

(その当時日系広告代理店はまだヨーロッパに拠点を置く事はなくボクの記憶だと博報堂イギリス支社のみでした。ですからドイツでは博報堂が日系広告代理店の先駆者だったのです。電通が進出してきたのはズーット後でした。)

話は戻って、ボクが唖然としていると田岡支社長曰く「今度は松永君の仕事場に案内します」とまたベンツに乗り込みデユッセルドルフ市内へ、古くガッシリしたネオルネッサンス建築風の建物に案内されて玄関に入ります。天井が高く小さいがとても品のあるシャンデリア、床は白黒の大理石で敷き詰められていてとても豪華。階段を登ると大きな扉があり、そこにはベッセレベルブンク広告代理店(Bessere Werbung )という看板がかかっていました。中からブザーが鳴り扉を開けると(ドイツにおけるこの鍵のシステムについては苦い経験があるがこの話はまた後で!)そこにはギュンター・ミュラー社長、ペーター・フェゼ・クリエイテイブデイレクター、クリステイーナ・アベル・メデイア担当女史が出迎えてくれました。

ちょっと彼等の特徴をのべますネ、まずギュンター・ミュラー社長は身長185cmぐらいのハゲひげメガネ男だがなかなかインテリッぽい、声が大きい。ペーター・フェゼ・クリエイテイブデイレクターは身長180cmぐらいでガッチリタイプ、日本の事情に少し詳しい。 クリステイーナ・アベル・メデイア担当女史は身長170cmぐらいの赤毛で少し巨漢。この3人に社内を案内され他5名を紹介されました。(ブリギッテ・グラフィックデザイナー、シュトイヤー・アートデイレクター、ベップス秘書、シュナイダー営業マン、カタリーナ制作進行。)全部で8人の小さな広告代理店でした。

もちろんその当時ボクはドイツ語なんか一言も喋れなかったし英語も日常会話に少し毛がはえたくらいでした。ひととおりの紹介が終わりボクに大きな机と制作道具が与えられ、さて仕事の段取りでも田岡支社長に説明をしてもらおうと思ったら........「では松永君、私はこれで失礼する後は皆と打ち合わせをよろしく!」.......オイオイちょっと待って!.........ボクが声をかける間もなく田岡支社長は足早に部屋を出て行ってしまった。

クソーッ.......ボクを一人にしてそれはないんじゃないのぉー田岡組長いや支社長!!!ドイツ人8人に囲まれたボクは一瞬顔を引きつらせ、(本人は一生懸命笑っているつもりだったが)手に汗を感じながらボーッと突っ立っていた。まるで8匹のドイツシェパードに囲まれた秋田犬(ボクは長崎出身)であった。

エーイこうなりゃ煮るなり焼くなり勝手にしやがれってんだ。どうせ俺は博報堂組の鉄砲玉デザイナーじやぁー.....と開き直った。するとドイツシェパードのボス犬。アッーと失礼!ミュラー社長が「今からミスターマツナガの歓迎会をします」と言うや否やベップス秘書がゼクト(ドイツ風シャンペン)を数本開けてグラスを皆に渡していた。なみなみと注がれたグラスで乾杯。ウソー真っ昼間からシャンペンかよー。ドイツってすげえなぁー。皆仕事はしないのかい?.....

ボクは日本では超真面目仕事人間で毎日夜の10時前に帰宅する事はなかったし2日位の徹夜なんかは平気の平チャンだった、デザインの仕事が面白かったし趣味でお金貰えてボクは幸せ者と思っていた(まあーこれは今でも同じ考えですが)とにかくボクからデザインの仕事を取ったら何も残らなかったのです。そのボクが異国の地ドイツでそれもドイツ人しかいない広告代理店で初出勤の日の真っ昼間からシャンペンを片手に............

 

 

「鉄砲玉デザイナーのドイツ体験記」その2

毎年2月初旬からデユッセルドルフ近郊ではカーニバルが始まる。長くて暗いヨーロッパの冬場を吹き飛ばそうと仮装したドイツ人達がドンチャン騒ぎをやるのである。 会社では昼時になるともう宴会が始まり皆ソワソワワクワク仕事なんか手につかない。そんな真只中に僕は遭遇したのである。

「こ、これがドイツのこれからの生活なのか?会社で仕事もしないで酒を飲んで給料が貰えるウーム悪くはないゾ....ククッ僕は幸せ者ジャ!さっそく日本の友人に連絡でもしてやるか、いや待てよこれが公になるとチトまずいな!!やっぱりだまっとこ。」などと独り勝手にアホな事を考えていた。

その酒とバラの日々もAschermittwoch(灰色の水曜日)で終わった。約2週間の夢の生活に別れを告げいよいよ現実に戻って仕事の日々が来るのである。

Bessere Werbung (以下BW)の制作室には僕の他にADのシュトイヤーとDのブリギッテの3人。もちろんその頃はDTPなんぞはないのでアナログ版下、レプロマシーンで文字の縮小拡大、写真のアタリ等など基本的には日本と同じでした、が、版下が違う。

なんと3mmの厚紙が版下用紙なのである。これは原稿を出版社に送る場合ドイツでは郵送しているので厚紙だと折り曲がる心配が無い訳である。(薄い版下用紙でも送付する時に厚紙ではさんで送付すれば同じと僕は思うのであるが?)

さてその厚紙版下を製図板の上に置き四隅を3mmの厚紙を通すデカピンで止めるハケの背中がカナヅチ代わりである。そこでT定規と三角定規を使って作業をするのである。

僕は驚いた。こっこれがドイツ流版下か!またトンボも凄い幅は0、5mm以上はあると思われるトンボが四隅に各2本づつ!これだけ!これでは版ズレが起こっても不思議ではないのだが?

その頃の博報堂ドイツのクライアントにはヤマハオートバイとTDKテープがメインで主に雑誌広告、カタログ類メッセ用ポスター等の仕事をしていた。

当時ドイツにおける広告代理店とクライアントとの関係はまず年間の予算がクライアントから提示されるとそれに沿ってメッセ、プロモーション、雑誌メデイア等に割り当てられてほぼ1年間のプログラムが決定する。従って最初のプレゼンで決定されたコンセプト及びデザインレイアウトは(もちろんモチーフは替わるが)1年間ズーッと続くのである。楽といえば楽だがチョット退屈である。

それではヤマハオートバイの雑誌広告用の制作現場を紹介しましょう。まずクライアントから新商品をピックアップDT250 とXT500の2台をカメラマン(実はこのカメラマンBWのCDペーターである。彼は写真やイラスト等もこなすマルチタレントドイツ人)と僕の2人でフォルクスワーゲン(凄い中古です)のバンに載せる。デユッセルドルフ郊外の田舎道を走り良いロケーションを探す。バイクを降ろしてセッテイングするがペータ曰くバイクが綺麗すぎるとの事それジャーってんで2人で近くの森までチョットモトクロス。

彼の知っているコースらしく鉄条網らしき所をくぐり抜け走る事約5分。なんとそこにはモトクロスのコースみたいなのが作ってありすでに彼のバイク仲間が数人コースを走っていた。

僕らに気随た仲間達が近寄ってきてお互いにハローっと挨拶さっそく合流、インスタントレースの開催である。10周位走ったろうかドーンという物凄い音が響いた。

近くで工事でもやっているのだろうか?かまわずに走っていると今度はドーンドドーンと2ー3回立て続けにそれもさっきとは違いすごく近くで物凄い音がしたのである。

フト前を走っている仲間がコースをはずれて森の中へ引き返していくではないか、僕は嫌な予感がしたので前を走っている奴らの後を追った、ペーターもついて来た、一目散で森を抜けもときた鉄条網を後に普通の田舎道に戻った。

もうその頃は2台のバイクは汚れて貫禄十分。ペーターにあの物凄い音は一体何なのか聞いたみたら「ああーあれはドイツ軍の戦車からぶっぱなされた大砲の音さ!けっこうデカイだろ?」.....とさらりと答えた。

........何? ドイツ軍? 戦車? オイオイお前らまさかドイツ軍の演習訓練用地にモトクロスのコースを作ったの? 

答えは「ヤー!」

ヤーじゃねえーよ玉が命中したらどうするんだヨ!

「今までそんなドジな奴はいないヨ」今までって俺がお前らの後をついていかないで一人であのコース回っていたら今頃天国かよ!冗談じゃないゾー!

つたない英語で怒鳴り捲った。ペーターが一生懸命あやまったので許してやったが........最初からドイツ軍の演習訓練用地に行くよ、ちょっと危ないけど....位の事を事前に知っていれば別にあの音にも驚かなくてすんだのである、が、やっぱり思い出すと背筋がゾーっとしたのである。

さて無事に貫禄のついた2台のバイクの撮影も無事終了。そのまま現像所にフィルムを届ける。約2時間後には使用するポジを決めて版下作成、フォトのアタリと写植をくっつけてオリジナル版下完了。それを様々な雑誌のサイズにレプロをして各出版社に送付して仕事終了である。 エッ? バイク?もちろん綺麗に戦車ではない洗車してクライアントに何もなかったように返しました。命がけのバイク撮影制作現場でした。

 

「鉄砲玉デザイナーのドイツ体験記」その3

今年(99年)は大阪ーハンブルクの友好都市提携10周年なのである。

この事を知っている貴方は相当なドイツファンである。知らなかった貴方は普通である。8月から12月までここハンブルクでは様々な催物が繰り広げられる。カールシュタットデパートでは着物ショウ、大阪俳画展、文楽など大阪日本をハンブルクッ子達に満喫してもらえる事だろう。大阪市の皆様御苦労様です。ガンバレー!

という事で話はガビーンと80年代のドイツーデユッセルドルフに戻る。 例のCD兼カメラマンのペーターとまたまたヤマハオートバイの雑誌広告用の撮影をする事になった。その当時画期的なモデルが登場したヤマハTR-1である。V字型エンジン搭載1000ccmのハイエンドモデルでヤマハがドイツBMWの高級モデルシリーズに殴り込みをかけた第一弾である。

ビジュアルコンセプトはエレガント、シック。ロケーションはデユッセルドルフ郊外の屋敷を探す事になり手前にTR-1を、バックに高級感と歴史を漂わせるお屋敷という感じでショットする事になった。本来はスタイリストに探させてロケハンするのだが(まあーこの時はTR-1モデルが一台しかなく撮影時間が限られていた)このペーターは行き当たりバッタリの本番カメラマン、クライアントからTR-1をピックアップしておんぼろフォルクスワーゲンのバンに載せるとさっそくスタート!

1時間位走っただろうか高い塀に囲まれた高級感溢れる豪邸が現れて来た。なかなか良さそうだ、2人でバンから降りて頑丈な鉄格子で防備している玄関に行き呼び鈴をペーターが押す、ダミ声のオバンとペーターがなんたらこうたらと話をしていた(......すみません話の途中ですが、この頃の僕は週に3回ドイツ語学校に通っていてカタコトではありますが日常会話も少し理解出来る程度にはなっていたのだ!ドウダ!......という事で話は続く....)だんだんペーターの声が大きくなって終いにはシャイセ(日本語訳:クソー)と捨てセリフを残してバンに戻っていった。オイオイどうしたどうした?ダミ声のオバンに撮影許可を断られた......と悔しそうにペーターはのたまわった。

それ見ろ、やっぱりチャンとロケハンして撮影許可を取り付けてから撮影本番だろうが?!ケッケッケ!......とは僕はペーターには言えなかった。ここらへんは日本男児の優しさだろうネ。......僕はオイ、ペーターくよくよするな!これくらいの豪邸他にもいっぱい見つかるだろうが。ホレ出発進行!!オンボロバンに揺られてまたまた約1時間程走って行くと塀はそれほど高くないがビシイーッと蔦が絡まりお城みたいなお屋敷が見えてきた。二人で顔を見合わせウンウンこれやこれや!さっそくオンボロバンを鉄格子玄関につけて呼び鈴をペーターが押す。彼にとっては緊張の時間であろう(ドイツ人は不意の客は極端に嫌う必ずアポを取ってからである)満面に笑みを浮かべて優しく話さなくてはならないのであるが.......?? またオバンの声がインタホンから聞こえる。 2人の会話はたぶんこうだった

ペーター:グーテンターク、お忙しい所恐れ入ります。私達はBWという広告会社の者でお宅の庭でオートバイの撮影をしたいのですがよろしいでしょうか?

オバン:........................

ペーター:ハロー?誰かいますかあ?

オバン:........御主人とアポ取ってますか?

ペーター:イヤー実はアポ取っておりません。実は急な撮影でして.......

オバン:..........御主人の許可を得ないと私は何ともいえません。

ペーター:イヤーそれは充分わかっていますけれども、そこをなんとかお願いします。1時間位で済みますので。お願いします。

オバン:..........御主人の許可を得ないと私は何ともいえません。

ペーター:そこをなんとかお願いします。

オバン:..........御主人の許可を得ないと私は何ともいえません。

ペーター:そこをなんとかお願いします。

オバン:..........御主人の許可を得ないと私は何ともいえません。

ペーター:そこをなんとかお願いします。

ペーター結構しつこく嘆願したが........やっぱりダメ!そりゃー給仕さん勝手に主人の許可無しに赤の他人を屋敷内にいれてもし事故があったらオバンの死活問題になりかねないからね!!

またまたシャイセの捨てセリフを吐き今度は頑丈な鉄格子にケリを入れ(このペーター普段は学校の先生みたいに整然としているが切れるとガラが悪くなるタイプであろう)オンボロバンに2人で戻り、さあどうする??とりあえず昼飯をとる事になった。

近くの田舎料理のお店で僕はシュニッツエルとじゃがいものベーコン炒め飲み物はデユッセルドルフ名物ハンネンアルトビア。ペーターは鶏丸ごと空揚とじゃがいもの蒸し飲み物はもちろん僕と同じハンネンアルトビア。実はBW広告会社はこのハンネンアルトビアの広告も扱っている。僕はビール2杯、ペーターは3杯ゴクンと飲み干し、さあてロケーション探しである。(注:ドイツではその頃血液中のアルコール量が0,8プロミールまではお酒を飲んでも運転出来た。今現在は0,5プロミールになったが、ちなみに僕の例でいうと0,3リッターのビールは約3杯まではオーケーであった)

その頃流行っていたジェネシスの音楽をガンガンに鳴らしながらドイツの田舎道をオンボロゴルフのバンで野を越え山越えてお屋敷探しの珍道中であった。またまた約1時間程走っていると塀は高いが綺麗なお屋敷が見えて来た。玄関先まで行くと今度はなななんと!頑丈な鉄格子が 開 い て い る!!!! 2人顔を見合わせガッツポーズ。オンボロゴルフのバンを玄関前に止める、さっそくインタホンまで僕が行こうとすると、ペーターが「ヒロちょっと待て!」ペーターが車から降りて僕を制止させ、本人は周りを伺いながらススーッと頑丈な鉄格子を通り抜け屋敷の中に入って行った。赤土で敷き詰められた歩道と緑の芝生、白い清閑なお屋敷まさに僕らが探していたロケーションである。

もうここは強引に撮影するっきゃないと僕らは暗黙の了解をしてさっそくTR-1をバンから降ろしお屋敷をバックにTR-1のポジションを決めた、カメラケースから2台のコンタックスを取り出し1台を僕に差し出した......?? 何?僕も撮影するの?まあ僕もカメラはニコマート(古いね)を使いこなしていたカメラ小僧だったから腕には自信があった。自然光もちょうど良いサイドパネルなどを調整して撮影開始!

ペーターは正面サイド俯瞰とバチバチ撮りまくり僕は下からTR-1のV字型エンジンを強調してバックにすこしお屋敷が見えるという贅沢構図で撮りまくった。35mmフィルムを5、6本撮り終わってソロソロ撮影終了............と....カメラをペーターに返そうとした時に急にペーターが咽をゴクンと鳴らし直立不動になって顔面からみるみる血の気が引いていくのが手に取るようにわかった....... フト彼が見ている屋敷方向に目をやるとデッカイ、ジャーマンシェパードがこっちに向かって猛スピードで突進してきているのである。さも美味しい獲物を見つけたように大きな口を開けその口の中からこれまた大きな舌を右へ左えとブランブランさせて突撃して来てまさに僕らの5メートル手前まで来た。

これを見たペーターは直立不動になって金縛り状態だ。熊さんだったら死んだふりをするのだが犬だと直立不動にするのがドイツ流なのか??まあとにかく彼は完全にビビッテいた。

僕はというと根っからの動物好きだから突撃してくるジャーマンシェパードに両手を広げて受け答える「おおヨシヨシ、ビリイ元気か?(どうも僕は動物には自分で勝手に名前を付けてしまう癖がある)大きくなったなあ」等と、もちろんドイツ語で話しかけながら頭をなでなでしてあげる、するとワンチャンも「あれえーオレ、ビリイじゃないけどオレの事知ってたっけ??そういえばどっかで会ったかな??」というハト豆鉄砲状態になって僕が「ジッチェン(日本語訳:おすわり)」というとチャントいう事を聞いた。

このワンチャンなんとなく気まずくなったのかまたまた屋敷の中へ戻って行った、もちろんその隙に道具とTR-1を片付け.......まさに頑丈な鉄格子を出ようとした瞬間に今度はデッカイ、ジャーマンシェパード3匹!3匹ですゾ! この3匹がグワングワン吠えながらこちらに向かって来た......あのビリイ君僕の事を他の2匹に確認してもらおうと思って連れてきたのでしょうネきっと!......ゴメンネ!ビリイ君僕らは初対面だったのですヨー!でも騙された君もキット人間が好きなのでしょうネ!

その時すでに僕らは車の中!襲われても恐くはないぞーっとすっかり顔色がもとに戻ったペーターはゲンコに中指をたてるあのフXXXモードでワンチャン達に別れを告げていた。(その時に気ずいたのだがワンチャン達はチャンと敷地内までしか追ってこなかったのです。自分達の守備範囲をチャンと知っている賢いワンチャン達でした)

さて恐怖の興奮から醒めて落ちついたペーターが一言「ヒロお前恐く無かったの? この前の新聞で敷地内に入ってきた外人労働者(ドイツの場合はトルコ人とかスペイン人とかの国から出稼ぎにきている住民)が犬にメッタメッタに噛まれて瀕死の重傷を負ったが噛んだ犬や持ち主には一切咎めは無く保険も自分のを使わなければならない、もうふんだりけったりの大変な事件があったばかりだったんだぜい」.................

「ペーターお前なあ......そんな事知るかい!.....大体最初からロケハンしてチャンと許可を取った屋敷で撮影すればこんな思いしなくて済むんだろうがアホ!」.......と日常会話が少し出来る僕は言ってやったが.......あのワンチャンの牙むき出し突撃を今思い起こすと........背中に氷が走ったのを感じた。あの時僕もペーターと同じドイツ流直立不動していたら2人とも確実にベッドの上だったろう!.........ゾーッ!

さあてフィルムを現像所に届けて僕らはBW広告会社に戻るとペーターが今日の出来事をスタッフのみんなに面白おかしく話していたようだった僕の犬好きと少しの勇気にスタッフ一同かなり感心していたのを覚えている。まあ悪い感じではないワン! 

夕方にフィルムが出来上がりCDとかクライアントとか営業とかが写真を選んでデザイン版下を作成するのだが写真を見て驚いた...........これって下からTR-1のV字型エンジンを強調してバックにすこしお屋敷が見えるという贅沢構図で撮りまくった僕の写真ジャン!............やった!........ペーターにさっそく「よおー!みんな僕の写真選んでくれたんだねえー!嬉しいよ!」..........と言うと......「エーッあれヒロが撮ったのだっけ?」........僕は....「......お前なあーええ加減にセエーヨ!下からの構図はおれだろ、おーれ?!!!  お前のは正面サイド俯瞰だろうが....アン??」........「ああーそうかもネ...まあでも僕のカメラで撮ったから.....あれは僕の写真さ!....だろ?」........ 僕は.........「.......」(無言で開いた口を塞げてしまった)このアホ!もう絶対写真一緒に撮ってあげないからなっと心に誓ったのであった。

後で分かった事だがこのCD兼カメラマン、ちゃんとカメラマンフィーを別途会社に請求していたのである。だからあの時...これはヒロが撮った写真なあんて言ったら請求できなかったのである.........納得。  だから写真横取り事件の後、 昼飯をよくオゴッテもらったのを記憶しているヤッパリあいつも人の子、僕に悪いと思ったのだろう。まあ許して上げよう................あいつが今生きているのもひとえに僕がドイツ流直立不動をしなかったからという事さえしっかり覚えておいてくれればまあいいだろう。ペーター肝に命じておけヨ!!..........が......またまた大変な、僕にとっては生涯忘れられない撮影事件が起こるのである。 次号を待たれよ!

 

【松永正泰】まつなが・まさひろ 博報堂の鉄砲玉グラフィックデザイナーとして渡独しアートデイレクターを経て、今現在ハンブルクでM.M.&P. Creative Design GmbHというデザイン制作会社を主宰。